誕生
激動の3日間。
2007/4/5、いつもの風景で、妻とメールをしていると、「おなかが張る」という。妊娠9ヶ月(33週)、まさかまだ陣痛じゃないだろうと思っていたが、夜になるにつれて悪化。夜中にはかわいそうなくらいの痛がりようだったので、翌朝産婦人科へ。主治医によると、子宮口が開いてきているらしい。つまり「切迫早産」。医者の方針で、ぎりぎりまで入院はさせないらしく、薬を処方してもらい帰る。金曜だったが、上司に相談し自宅作業とさせてもらい、様子を見るが、一向によくならず、むしろ痛みは増しているようだ。安静にさせて、夕飯を作り食べさせる。夕方、出血しているとのことで、医者に電話。無愛想な看護婦が出るも、あまり取り合ってもらえず、そのまま自宅で安静とする。ベッドインした後、やはりかなりの痛みらしく、妻悶える。俺は薬を飲んでいたため、軽く寝ていたが、妻の痛がる声に起きる。12時前に、もう限界とのことで再度病院に電話。やはり無愛想な看護婦による微妙な対応だったが、とりあえず医者に行くことに。
医者につき、診察をしてもらうと、子宮口が3cm開いていると言われる。即、入院。一旦、俺は帰され、翌朝、朝イチで妻の実家に電話。その後医者へ。妻は点滴を受けながら、ベッドに横たわっていた。約10分おきに来る痛み、見ている方も辛い。何もできなまま、入院の準備のため一度帰宅。近所のアカチャンホンポに行き、衣類を購入。午後、再び病院へ。
苦痛に歪む妻の顔。相変わらず10分おきの激痛。妻は布団の端をつかみ激痛に耐えていた。4時過ぎ、医者の診療。結果、子宮口が全快とのこと。いつ生まれてもおかしくないとの話をされ、そのことをそれぞれの親姉妹に伝える。病室に戻ると妻がいない。どこにいったかわからず、うろたえていると、助産婦らしき女性が、分娩室に入ったので、病室を移動させるとのこと。荷物を運び、新しい病室で待つ。
長い・・・。5時頃、病室に入りたった40分程度だったがとても長く感じた。妊娠33週、あまりに早い出産。医者に妻子は大丈夫かと聞いたときに、「わからない」と言われたことが頭をぐるぐるとかけまわる。椅子に座ってなどいられなかった。ベッドの前をいったりきたり、うろたえていると、ガチャっとドアの開く音。
「生まれた」
との医者の一言。そして、子供も無事、むしろ元気だとの一言。不安が歓喜に変わった。その後医者と共に救急車に乗り込み、30分ほど行ったところの都立病院のNICUに。小さい、けど元気そうだ。子供を見てさらに一安心。医者曰く、性別は男の子だのこと。「えっ?」思わず聞き返す。女の子だと言ったではないか?70%女の子だと。だがうれしい誤算だった。なによりも男の子が欲しかった。それが叶ったのだ。
妻の姉と合流し、2時間ほど待つ。その後、子供のもとへ。医師の説明を受け、これから精密検査を受けること、五体満足であること、1ヶ月近く、退院はできないことなどを聞いた。
その後、義姉と別れ、電車を乗り継ぎ、再び妻のもとへ。
「お疲れ様」
妻にささやく。本当にお疲れ様。一生の一大事を乗り越えた妻の顔は少しだけ母親の顔になっていた。
これが彼が生まれるまでの3日間だった。正直、こんなに疲れたのは実の母が亡くなった日以来だと思う。
これから3人の生活が始まると思うと胸が躍り、結局この日は一睡もできずに翌朝を迎えた。


